自分を愛せない人生だった。
要因は自分でもボンヤリとはわかっている。
自分を愛せないのは間違いなく「自分のせい」だ。
他人のせいにしてしまう事ほどナンセンスな事はない。
「私は不幸なんです」と吠えた所で、何が生まれるのだろうか。
誰かからの愛を無下にしているのも勿体ないし、何よりも私という人間を評価して
「好きだ」と告げてくれた相手方に失礼だ。
23年間、どこまで捻くれた人間だったのか、嫌気が差してしまうな。
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引き寄せの法則だの、自己啓発だの、
「自分を良くするための行い」の類が
反吐が出る程嫌いだった。
善人になんてなりたくなかった。
自分の事なんか好きになりたくなかった。
自分の事を否定して悦に浸って、何か指摘された時の言い訳を作りたかった。
「私なんて」って、ずっと言い続けて行こうと、きっと無意識のうちに行動に表れてた。
ただ、そんな捻くれ者で居ても許されるのは若いうちだけである。
大人になり世間を知る度、責任を持つ立場に近付く度、
社会との関わりから逃れられなくなる度、誰かに愛して貰えた度、
「捻くれ者根性」ほど無駄な事はないと気付いてしまった。
自分を卑下して守るプライドなんて、浅はかすぎる。
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誰かを羨んだりする事は簡単だ。
ただ羨んだ所で自分を取り巻く環境は変わる訳が無い。
せめて「羨む」から「憧れる」へと変えていきたい。
羨むということは、そこに妬ましい気持ちが含まれている。自分の方が格下だと、価値がないと自己認識してしまっているからだろう。みっともないよなあ。
今まで失ってきたものはもう戻っては来ないかもしれないけど、これからの人生を豊かにする為にも、真剣に
「自分を愛する」ということに向き合っていこうと思った。
金が欲しいから、友人が欲しいから、恋人が欲しいから、社会的地位が欲しいから、愛されたいから。
理由は挙げたらキリがないし、自分でも少し馬鹿げた理由だな、なんて思ってしまうが、いつまでも変わろうとしない自分から
卒業しなくてはいけない時期が来てしまったのだ。
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自分を嫌いなまま生きるのは、とても生きにくい。
自分を愛する事、認めてあげる事で
道が開けるなら。新しい人生が歩めるなら。誰かを愛せるなら。
やってみる価値はあるのではないか。
このブログはあくまでも自分の備忘録だ。
誰かに「こう生きればいいんだよ」と
マニュアルを示すような物でもない。
だけれど、誰かの人生と私のこの記事がリンクして
少しでも、一瞬でも共感して「自分を愛してみよう」っていう
動機になれば、幸いだ。
自分のメンタルと向き合うのに年齢も何も関係ない、
より、豊かな暮らしを過ごしていくために。
自分を愛してあげよう。
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